省略された昔話

お久しブリです。

江戸時代、江戸(東京)から京都まで移動するのに2週間程度かかったそうです。
それが今は新幹線で2時間ちょっとな訳ですから、人の力の偉大さを思い知りますね。

このスピード感あふれる社会情勢とでもいうのでしょうか、
小説もあらすじで上手にまとめられたものもありますよね。
色々なことがコンパクトにまとめられるようになりました。

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近所のお寺に参拝に行った時、
そんな時代のスピード感を考えてしまうような看板を見つけてしまいました。笑

多門院・毘沙門堂

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多聞院は、真言宗豊山派の寺で、本尊は大日如来である。

川越城主柳沢吉保は、元禄7年(1694)武蔵野の開拓を計画し、家老職の曽根権太夫にその実施を命じた。 権太夫は、地蔵林(上富の富の地蔵付近)を中心に地割開拓に着手し、元禄9年この画期的な大事業も無事完了、 上富(現三芳町)、中富、下富(現所沢市)の三村が生まれた。 このとき、村民のために祈願所として多聞院を創建したのが始まりであり、 開山は江戸四ッ谷真言宗愛染院第四世榮任和尚である。

また、境内にある毘沙門堂は、元禄9年の創建だが、現在の堂は明和3年(1766)に再建されたもので、 本尊は高さ約4センチメートルの金の毘沙門天で、武田信玄の守り本尊であったといわれている。

言い伝えによると、信玄はこの毘沙門天を兜の中に納めて戦場に出た。 その御加護によって、川中島の合戦の時には上杉謙信の刀から危うくのがれるなど、大変御利益があったといわれる。

その後、信玄は没し、天正10年(1582)天目山の戦で武田勝頼が自害して武田氏は亡び、 毘沙門天は人の手に渡ったが、やがて吉保の手に移ったので、武運長久を祈るため、この毘沙門堂を建立し、安置したといわれる。

門前 所沢市 案内板より

【転載終了】

見つけたのがこれ(↓)です。

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笠地蔵さんが並ぶ脇に看板があり、そこに物語が…。
しかし平然と≪中略≫と書かれてあるのです。

うん、たしかに看板の狭いスペースで物語全てを書くのは無理があります。
でも昔話に≪中略≫って…、それにほとんどすべて省略って……
その思い切りの良さ、大胆さに思わず笑ってしまいました。

お寺さんで、ちょっと別の意味で癒された瞬間でした。
ありがとうございました。





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