そこに宿る人の思い
お久しブリです。
今日は上野の国立西洋美術館へ行ってきました。
そこで企画展示室の『橋本コレクション 指輪 神々の時代から現代まで』を見てきました!
普段、美術館には絵を見に行くことがほとんどで、
指輪の展示を見るのは初めてでしたので、どんなものか楽しみにしていました。
ジュエリーなのでキラキラしたものばかりで目がくらむんじゃないかと思っていました。
しかし、そんな単純なものじゃありませんでしたよ…。
指輪の世界というのは実に深遠なものなんだと思い知りました。
上野、国立西洋美術館にて2014年7月8日より、「橋本コレクション 指輪 神々の時代から現代まで ― 時を超える輝き」展が開催されます。
国立美術館初のジュエリー・コレクション、いよいよお披露目となります!
個人コレクター橋本貫志氏(1924-)が20年以上にわたり蒐集したコレクション約870点(スゴイ数!)が、2012年に国立西洋美術館に寄贈されたことを記念して開催される展覧会です。
「橋本コレクション」の指輪は、制作年代(古代から現代)、制作地も多岐にわたっています(ヨーロッパだけでなく、アジア、ラテンアメリカまで含まれています)。
また素材、技法、用途、形式にも偏りがなく、指輪の持つ多様性と共に、指輪の歴史をも見て取れるのが大きな特徴です。
【転載終了】
指輪は、絵や彫刻などと違い、日常身につけることが出来るものです。
それゆえ、単に装飾品として綺麗なものであるとかそういうのだけではなくて、
印鑑(印章)の代わりだったり、宗教的な意味合いのものだったり、
あるいはお守りや戒めだったり、自分の感情を表現するものだったり…。
持つ人の様々な思いが形になったのが指輪なのでした。
人が身につけるというところが指輪の肝心な部分なのでしょうね。
ですから華美な装飾のものだけでなく、何となく不思議な輝きを放つ指輪、
むしろ暗いイメージを与えるような指輪などもありました。
使われている石、刻まれている言葉、色や形、
人の思念が指輪という一つの形となってそこにあるように思いました。
古来「カルペ・ディエム(今日をつかめ)」と「メメント・モリ(死を記憶せよ)」という二つの言葉がある。前者は「今宵(こよい)は愉快に飲食しよう!」の意であり、後者は「人間は死すべき運命にあることを忘れるな」との警句である。一見、相反するこれらの格言は、古代ローマ以来、生の実相の表裏をなし、墓碑の常套句(じょうとうく)でもあった。
それはつねに身に着ける品にも託され、古代ローマではインタリオ(陰刻)やカメオなどの宝飾品にも見られる。そしてこのような趣向は、古代復興のルネサンス期を経て、とりわけ富と虚栄の十七世紀イギリスでリバイバルする。骸骨を戴(いただ)いたり、「メメント・モリ」の銘文が刻まれたりした指輪は、人生を謳歌(おうか)して逸楽を掴(つか)んだ者も、人間すべてその末路は死の他になし、と語るのである。
身体の一部である指輪に、生死の奥義を託した屹立(きつりつ)した心が伝わってくる。
=小池寿子(国学院大学教授)
【転載終了】
これだけたくさんの指輪を一気に見ることなんてありませんので、
見ていて後半は気疲れしてしまいました…。笑
でも、行ってみてよかったと思っています。
西洋美術館入り口にある地獄の門です。
常設展ももちろんですが、新館 版画素描展示室の
『私は見た:フランシスコ・デ・ゴヤの版画における夢と現実』も非常に面白かったです。
ありがとうございました。