3年ですね・・・
お久しブリです。
3月11日午後2時46分がまたやってきます。
あの時から私は塾や自分の人生について深く考えるようになりました。
昨日と同じ今日があるとは限らない、日常が突然絶たれる。
そんな出来事が自分や自分の大切な人に突然起こっても不思議でない。
そういう現実を突き付けられたからです。
それから塾内の防災対策を含めて、指導方針を全面見直ししました。
「明日指導できないかもしれない」という思いを指導の根幹に据えたのです。
そのため、自分で課題に向かうこと、自分で解決するよう努力すること、
この2点を重視し、私たちはそのサポートに徹するようにしたのでした。
津波で多くの住民らが犠牲となった仙台市若林区荒浜では、時折小雪が舞う中、多くの人が祈りをささげた。妻や両親ら5人を亡くした大学敏彦さん(59)は「子どもと仕事に救われたが、そうでなければつらかった」と話した。
震災当時、荒浜に住んでいた佐藤正昭さん(67)と妻ふじ子さん(66)は揺れを感じ、すぐ高台に避難。近所の住民に声を掛けたが、全員は助けられなかったといい、「残念で悲しい」と悔やむ。犠牲者の名前が彫られた石碑で友人らの名前を探した2人は、「今は前向きだけど、また一緒にお酒を飲みたかったと思う」と語った。
慰霊碑の前には多くの花束や酒が供えられた。固く目を閉じて上を向き、涙をこらえる男性の姿もあった。
何かで読んだビートたけしさんの言葉が印象に残っています。
「この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。」
そして「個人個人の悲しみに対して想像力を働かすことが大事」
とそう言っていたのです。
本当にその通りと思いました。
自分に何が出来るのかを考えていた時でしたので、
私は国語指導を通して『想像力』のある子を育てようと、一人決断したのでした。
他者の痛みが分かるというのは難しいことです。
しかし、自分に置き換える想像力があれば、断片でもその辛さが分かるはずです。
人から与えられたものをただ暗記するだけでは想像力は養われません。
自ら考えて、自ら感じる力がなければなりません。
受験勉強を扱う塾が、これをやるのは相当大変です。
でも、だからと言って出来ないとすぐに匙を投げるのも違うと思います。
どこまで出来るのか、塾生と一緒に考えていこうと思います。
本日14時46分、その時私はどこにいるかわかりませんが、
黙祷をささげ、自らの決断をもう一度確認しようと思います。
ありがとうございました。