自由研究
お久しブリです。
お盆休みもあけて、夏期集中学習も後半戦に突入です。
暑さが厳しく体調管理も難しいですが、塾生は元気に通塾してくれました。
夏期後半も頑張っていこうと思います。
さて、今日はちょっと私的なことをメモしておこうと思います。
今年のお盆休みは、長男の学校課題(自由研究)の手伝いをしていました。
それにしても、学校というのは、どうしてたくさん宿題を出すのでしょうか…。
サポートする親の方が疲れてしまいます(泣)
長男の自由研究は、浅間山について調べることでした。
2004年の噴火の際に、火山灰を採取しに連れて行ったのがきっかけです。
しかし、調べるとなると、埼玉県にいては限界があります。
そこで浅間山を調べるために群馬県に出かけてきました。
行ったのは浅間火山博物館や嬬恋郷土博物館などで、
浅間山を調べるに十分なところでした。
嬬恋郷土博物館ではガイドさんがいて、天明3年(1783)の浅間山噴火のことや、
展示物の解説を聞けるという貴重な時間を持つことができました。
郷土博物館のすぐ横にある鎌原(かんばら)観音堂にも行ってきました。
時間が夕刻だったので観音堂の扉も閉まり、
お堂にいた地元のおじいちゃん・おばあちゃんもちょうど帰るところでした。
せっかく来てくれたのに、お堂の扉を閉めてしまって申し訳ないと、
なぜか地元で取れる『かんばらきゅうり』なるものを何本もいただいてしまい、
逆にこっちが恐縮してしまいました。
やぶ蚊に追いかけられながらも、きちんとお参りしてきました。
生死をわけた15段の石段
熱泥流は、当時150段余りあったと伝えられる石段の足元にまで迫り、15段を残して止まったといいます。
昭和54年の発掘調査の結果、この15段の少し下で女性2名の遺体が発見され、現在も残るこの石段が生死を分けたことから、村人を守った奇跡の地として知られています。
今では、火山火災から命を救った観音堂は、厄除け観音として信仰され、多くの参拝客や観光客でにぎわっています。
地元奉仕のお年寄り達が、訪れる人々にお茶をふるまい、温かく迎えてくださいます。(拝観自由)
【転載終了】
帰ってからいただいたかんばらきゅうりもとてもおいしかったです。
2004年、浅間山が噴火した時に、
授業で火山灰や火山レキを見せたいからと取りに出かけましたが、
鎌原を襲った土石流れの話を聞いて、自分の行為の愚かさを知りました。
江戸時代も穏やかだった噴火活動が突然活発になって、
あの惨劇が起こったのだそうです。
この夏の浅間山はとても雄大で穏やかな山でした。
長男が調べたことをどのようにまとめるのか楽しみですが、
こうやって子どもの宿題に付き合うのも面白いですね。
郷土資料館では私のほうが熱心に話を聞いていました。
フィールドワークっていうんですかね、
とにかくこういう机の上だけでない学習が増えれば、勉強はもっと楽しいでしょうね。
教科書にある内容を、実際に目で見て体験することができたらいいですね。
塾でも何かできないものでしょうか…。
ありがとうございました。