日本の生徒と教師の関係

お久しブリです。

最近、和光市の中学生がずいぶんおとなしいように感じるのですが、
中学生のエネルギーが減っているのか、それとも溜め込んでいるのか…。

今の埼玉県の入試制度は、全体的に『いい子ちゃん』が優遇されます。
これはこれで学校の先生にとっては都合がいいのかもしれませんがね。

10年位前は、中1.2でちょっとやんちゃした子も、3年になったときに
「いつまでもガキじゃいられないしさ」とかいいながら勉強に向かったものです。
まだ一発逆転みたいなのができたので、そのエネルギーを勉強に向けることがありました。

ちなみに私ブリは、そんな一発逆転の発想がすごく好きで、
そういう塾生と格闘しながら勉強するのがたまらないのですが。

でも、今の制度だと、中1.2の中学校の成績がモロに影響しますので、
「どうせ今さら…」となってしまう危険性が非常に高いわけです。

結果、中3の時の頑張りを見てくれる私立高校に進学を決める子も増えるわけですが、
公立高校は本当にこのままでいいのでしょうか…。

もし子供たちのエネルギーがなくなったり、溜め込んだりしているのではなく、
制度によって押さえつけられているのだとすれば、かなり厄介です。


ちょっとそんなことを思わせる、子供たちの対教師関係をまとめた
面白いデータを見つけたので、紹介させてもらいたいと思います。

日本の生徒の対教師関係

 海外の研究者が日本の学校を訪れて驚くのは,教室の秩序がきちんと保たれていることだそうです。授業中は,皆が教科書とノートを出して,静粛にして教師の方を向いている。われわれにとってはごく当たり前のことですが,外国の人からすれば必ずしもそうではないようです。

 このことは,データからも確認されます。OECDのPISA2009の生徒質問紙調査では,対象の15歳生徒(高校1年生)に対し,学校の国語の授業で「生徒は,先生の言うことを聞いていない」という事項への反応を尋ねています(Q36)。
http://pisa2009.acer.edu.au/downloads.php

 「たいていそうだ」と「いつもそうだ」の反応率をとってみると,アメリカでは24.9%,フランスでは35.2%にもなるのに対し,日本はわずか8.2%です(無効回答除いた百分比)。日本のこの値は,PISA2009の全対象国(74か国)の中で最も低くなっています。

 ほほう。何とも結構なことです。しからば,わが国の生徒は教師とさぞうまくいっているのだろうと思われますが,こちらはどうなのでしょう。同調査のQ34では,「私はたいていの先生とうまくやっている」という事項について自己評定するよう求めています。「とてもよくあてはまる」+「どちらかといえば,あてはまる」の反応率を出してみましょう。

 私は,これらの2つの指標をもとに2次元のマトリクスを構成し,その上に74の社会を散りばめてみました。横軸は「生徒は,先生の言うことを聞いていない」と評する者の比率,縦軸は「私はたいていの先生とうまくやっている」に対する肯定率です。点線は,74か国の平均値を意味します。

儀礼

 2つの指標は傾向としては負の相関関係にあり,第2象限(左上)と第4象限(右下)に位置する国が多くなっています。第1象限(右上)と第3象限(左下)にあるのは,イレギュラーなケースです。

 しかるに,日本のイレギュラー性は際立っており,左下の極地にあります。教師の言うことを聞く生徒は多いが,その一方で,教師と良好な関係にある生徒は少ない。変わった社会です。

 マートン流にいうと,わが国の生徒は教師に対して「儀礼的」な戦略をとっている,ということでしょうか。勉強に興味持てないし,本当はウザイ先生の言うことなんて聞きたくないけど,成績に響いたり退学になったりしたら困るので仕方なく・・・。こんな感じです。

 マートンは,文化的目標にコミットメントしておらずとも,そのための制度的手段は(やむなく)承認するような適応様式を「儀礼型」と名づけました。日本の生徒に則していうと,勉強して偉くなろうとは思わないけど,学校をきちんと出ないと落伍者の烙印を押されてしまう,という強迫に突き動かされている人間類型です。上図の結果は,こういう生徒が教室に多くいることを示唆しています。

 こうした儀礼型人間について,マートンは原著で次のように述べています。「外部から観察すると,本人は,謙虚で思慮分別があり,見栄をはらない。自発的な自己抑制によって,彼は,自分の目的や大望を制限し,冒険や危険に伴う快楽をすべて拒絶する」(森東吾訳『社会理論と社会構造』みすず書房,1961年,171頁)。なるほど。日本の生徒と重なり合う面が強いですね。

 このような形だけの儀礼的戦略を幼い頃から行使し続けることで,どういう人格形成がなされるでしょうか。おそらくは,自分の頭で考えることをせず,機械的に周囲に合わせるだけの付和雷同人間ができ上がることでしょう。過剰適応型人間といってもよいかもしれません。わが国の企業社会は,こういう人間類型によって支えられている側面があります。

 今の生徒たちは,学校において儀礼的な戦略を行使することをますます強いられています。昔に比べて,学校という四角い空間の中で勉強することの意義を見出しにくくなっているのですから。さらに悪いことに,その期間も長期化しています(高校進学率95%超,大学進学率50%超!)。

 長期にわたる学校教育の中で,機械的思考しかできない儀礼型人間が産出される傾向は強まっていると思われます。この上に,法を守ることをしない,やりたい放題のブラック企業がはびこっているともいえるでしょう。

 こうみると,上図の4つ象限の中で最も問題と判断されるのは,左下の第3象限であるかもしれません。わが国と同様,受験競争が激しい韓国もこのゾーンに位置しています。何のためかわからずとも,ただ形の上で四角い空間にしがみつき続ける。そういう儀礼的戦略をとる生徒が多い社会です。第4象限のフランスのように,教師の言うことに反発する生徒が多い社会のほうがむしろ健全である,という見方もできます。

 海外の人々を驚かせる日本の生徒の適応様式は,内面の同調を伴わない儀礼的なものであり,いたずらに誇れるものではないことを認識すべきかと思います。

 子ども期が学校化された状況に風穴を開けること,また学校という四角い空間における社会化様式を変革することの必要性は,こういう面からも指摘することができます。

【転載終了】


つまり、子供たちは「そんなくだらない話、早くやめろよ~」と思いながら、
教室で黙ってじっと座って耐えているわけですね。
修行僧のようですね。

学校ではそれが美徳とされますし、それで授業態度はOKとなります。
ただ、これが小中高と12年間も続きますと、体はそれに慣れてしまいます。

だから『自分の頭で考えることをせず,機械的に周囲に合わせるだけの
付和雷同人間ができ上がる』ことになってしまうわけです。


『第4象限のフランスのように,教師の言うことに反発する生徒が多い社会のほうが
むしろ健全である,という見方もできます』とありますが、
日本でこれをやると完全にアウトなんですよね。

塾生にもいました、そういう子が…。

その子の中学のときのクラス目標が「悪口を言わない」だったそうですが、
学活の時に担任が一人の生徒の悪口を言ったのだそうです。

委員長だったその子は
「クラス目標にあるのだから先生も悪口を言うべきでない」と皆の前で言ったそうです。
(皆の前で言ってしまったのが良くなかったのでしょうなあ)

すると担任はキレて怒り出し、その後何かと目の敵にされるようになったのだそうです。
絶対評価ですからね。成績も下がります。

でも、悪いのはどっちなのでしょうかね。
徳のない教員が増えたものです。


みんなが静かに先生の話を聞いている。
一見良さそうに見える授業シーンですが、
ひとりひとりが積極的に自分の意見を出し議論をするのとは真逆の世界です。

新学習指導要領・生きる力

新しい学習指導要領では、子どもたちの「生きる力」をよりいっそう育むことを目指します

「生きる力」=知・徳・体のバランスのとれた力
変化の激しいこれからの社会を生きるために、確かな学力、豊かな心、健やかな体の知・徳・体をバランスよく育てることが大切です。

画像の説明

【転載終了】 


文科省によれば、確かな学力とは
『基礎的な知識・技能を取得し、それらを活用して、自ら考え、判断し、
表現することにより、様々な問題に積極的に対応し、解決する力』
なのだそうです。

つまり今の学校現場では確かな学力は身に付かないわけですな。
自ら考え、判断し、表現したら先生に目の敵にされるんですから…。
くわばらくわばら。

ありがとうございました。


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