そうじ当番

お久しブリです。

私の住んでいる市でペットボトルを捨てるには、
キャップや包装を外し、中をすすいでからごみ集積所に出すこととなっています。
それを、集積所に用意されている専用ネットに入れるのがルールです。

先日、妻から、自分たちが利用している集積所に
キャップも外していない、包装もついたまま、中もすすいでいないペットボトルが、
それも、レジ袋にいれたまんまで放置されていると聞きました。

そのゴミ、収集車が持っていってくれなかったようです。
「今週はうちが掃除当番なのよね・・・」と妻。

地区では、各世帯ごと分担してそのゴミ集積所を掃除をすることになっています。
今週はうちが当番でした。


数年前も似たようなことがあって、
収集車が持っていってくれなかったゴミを私と妻で分別して捨てたことがありました。

空き缶やプラゴミ、可燃ごみと不燃ごみが1つの袋に入っていて、
それらを一つ一つ取り出さなければならず、正直嫌な気持ちでした。

ただ、あの時は、近所のおじさんが手伝ってくれて、
行き場のない思いをしていた私と妻を嬉しくさせてくれたのを覚えています。


今回「またかあ・・・」と思ったのですが、
放置しておくわけにも行きませんので、片付けることにしました。
今回は妻とではなく、ちょうど春休み中で暇をしている長男を誘って。

「おい、ちょっと手伝ってくれよ」
「なにを?」
「ゴミ捨て場にペットボトルが残ってんだって。片付けなきゃなんだよ。」
「なんでうちがやるの?」
「うちが当番だからなあ・・・」
「捨てた人がやればいいじゃん」
「そのままにしておけないだろ・・・」
「 ・・・ 」


そんな風に初め渋っていた長男でしたが、
「じゃあ、ヘッドライト貸してくれるならいいよ」というので、
非常用に買っておいたヘッドライトを貸しました。

画像の説明
こんな感じのヘッドライトです。



外は暗くなっていたので、たしかにヘッドライトがあるのは便利でした。
長男は素手で触るのが嫌だからと、軍手をはめて、ヘッドライトをつけ意気揚々と。

長男が単純な奴でよかったと内心思いながら、その後について集積所に行くと、
確かに放置されていました。それも2袋。

収集車が貼ったであろう
『ルールにしたがって出してください』というシールまでついていました。

見れば、ペットボトルに混じって、大量のビールの空き缶まで混入しているありさま。
これじゃあ、収集車が持っていくはずがない・・・。

作業開始。
長男は「なんでキチンと出さないんだろ」とかなんとか言いながら、
空き缶をつまんで用意してきた別の袋に入れてました。

街頭の光もあまり届かない暗い中の作業でしたが、
ヘッドライトをつけた長男の作業は順調そうでした。

まあ、道行く人たちがどういう目で自分たちを見ているのかが
分からない位に暗かったので、ある意味助かりましたが・・・。

ヘッドライトつけてゴミをいじっている訳ですから、
勘違いされても仕方ない状況です。

気づくのがもっと早い時間だったなら作業も楽だったでしょう。
次の日にやるか?とも考えたのですが、次の日にはもうその日のゴミが集まってきます。


想像以上に量があったのですが、2人で協力してなんとか作業を終わらせました。
ばっちりそうじ当番としての任務を務めたのでした。

大変ではありましたが、長男も満足そうでした。
すっきりとした集積所を見て、納得していましたのでね。
きっと役割を果たす大切さも分かってくれたのではないかと思います。




一見、自分には何の役にも立ちそうもないことが
後から考えてみると、意外なところで自分のためになっていることがあります。

今回の件、長男に言いはしませんでしたが、
ルールを守らなかった人への恨み言を言っても自分の気持ちが晴れることはありません。

それよりもこの状況で自分が気持ちよくなるためにはどうすればいいのか、
そういうことを考えるほうが、人生を楽しくできると思います。

長男は使ってみたかったヘッドライトを使うという、自分の欲求を満たすことに、
他人のゴミの分別という嫌な作業を結び付けることで、その作業を楽しんでいました。
なかなか賢いなと感心しました。

私も長男と話しながらいっしょに作業するのを楽しんでいたので、
そのことが面倒くさいとか、嫌だとか、考えていませんでした。
きっとそういうものなのだと思います。

ありがとうございました。


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