受験は誰のもの?
こんにちは。
先週の地震の後も、太平洋沿岸を中心に小さな地震が発生しているようですね。
3.11の前に起こった地震の状況に似ていると言っている人も一部ではいるようです。
(今週いっぱいは警戒しながらの授業となりそうです…)
不安に思っても、地震を防げるわけではありません。
いつ何時地震が起きても大丈夫なように、物も心も備えておきたいです。
今日は、いつも考えていることをちょこっとメモしておこうと思います。
例の通り、単なるつぶやきですので、興味がなければスルーして下さいね。
『受験は誰のものか?』というタイトルをつけましたが、
これを考えるきっかけは教室長との会話からでした。
よく話題に出される「分数も出来ない大学生」というような現象について話していましたが、
実は、そういう学生を生み出す制度やシステムに問題があるのではないかと…。
それなのに、何だかすべて子ども達の怠け心のせいみたく言われ、
制度やシステムが改善される様子がないのはなぜか…とそんな話をしていた時でした。
世の中には有名な学校といわれるものがあります。筆頭は、東大ですよね。
大学受験をする子のほとんどが「入れるなら入りたい」と思うのではないでしょうか。
では、その東大、「もし誰も受験しなかったらどうなる?」
こんな馬鹿げた(と言っても、実は結構真面目)ことを思いついてしまったのです。
あなたの近所の有名校でも考えてみて下さい。
もし、○○高校や○○大学の受験生が一人もいなかったら…?
何の事情もなく、ただ誰も受験しなかった、のだとしたら、
果たしてその学校はそのまま有名校と言われ続けるのでしょうか?
有名校は、入学希望者が多く、競争倍率も高いから、有名なわけです。
では、入学希望者がいなかったら??
もし、子ども達が受験を拒否するという行動に出たら、一体どうなるのでしょうか?
そして、大人たちはどうなる(どうする)のでしょうか?
きっと困る人が大勢出てきますよね。
いままで胡坐をかいていたたくさんの人たちが、一気に跳ね起きそうです。
「~~しないと大変だよ。」と大人はよく子どもにそう言います。
「勉強しないと大変だよ~」とかね。
でも、そういう世の中をつくっているのは大人なんですよね。
それって、「~~しない」子どもに問題があるのではなく、
「~~しない」と困ってしまうような世の中を変えない大人の方に問題ありなのでは?
そういう見方って、いけないのでしょうか…。
もちろん受験も色々な見方が出来、うまく利用できる点もあります。
ですが、大人が作ったルールやランクに振り回されることが多いのも実際です。
どうしても子ども達はおとなしく従う他ないわけで、
その意味では『受験は大人の手の中』にあるわけです。
そんな受験を、子どもたちの一斉蜂起によって拒否する。
有名校も何もあったものじゃありません。
(実現したら、なんて痛快でしょう!なんてね…)
大人達から見れば、それはテロ行為?かもしれませんが、
子ども達にしてみれば、受験を我が手に取り戻すこととなるかも知れませんね。
実は、弱者のようで、受験生は最強なのだと思います。
きっとその方が都合がいいので、弱者と思わされているのかもしれません。
受験生自らは制度作りに参加できず、大人の作った制度の中でやる他はないので、
弱者なのだと思いがちです。
それに加えて「分数ができない大学生」のように、悪く言われてしまうことも多々。
学校のランキングがされたり、合格実績などという情報が飛び交ったり、
受験生自身は蚊帳の外のように思うかもしれません。
でも、受験は親や教員、塾や予備校講師のためのものではありません。
大人にコントロールされているように思うかもしれませんが、自分で選び取れるのです。
受験生には、そのことを忘れてもらいたくないなと思います。
ありがとうございました。