一見意味のないことからも、意味は見出せる!?
お久しブリです。
塾講師目線&父親目線で、塾に通う前にお子さんの成績を上げるちょっとしたコツを伝える専門家、ブリさんこと神澤武利です。
いつもお読みいただきありがとうございます。
ふと1年前の今日が気になって、
ブログ記事を見てみました。
そしたら、なかなか面白い記事だったので、
今日は改めて再掲しようと思います。
先日、卒業生の桐ちゃんが
塾に顔を出してくれました。
その時の話を記事にしてくれているので
紹介したいと思います。
一昨日のことです。中学時代にお世話になりそれ以降も度々お世話になっている、地元の塾の塾長さんと久しぶりに議論してきました。
これまでも会う度に新鮮な驚きと洞察を与えてくれて感謝しきりだったのですが、昨日はさらに凄い議論になりました。
勉強に意味を見出せず、やる気がそがれているこどもたちって多いと思います。こんなこと勉強したって意味ないし、ゲームやってたほうが何倍も面白いよと。
しかし塾長は、「無意味なものにすら、実は“意味”があるんだ」と話してくれました。どういうことか、自分なりに解題してみます。
日常的に考えれば、無意味で無価値だとしか思えないようなことは誰もが避けようとします。意味の無いことにひとは耐えられないし、価値が無いと感じていることをするのは苦痛です。
けれど、無意味で無価値だと感じるものと出遭ったとき、自分が本当に出遭っているものは一体何だろうと考えてみると、
そうしたものを無意味で無価値だと思う、自分自身の価値観なのではないかと。端的に言えば、おのれ自身と出遭っているのではないか(禅問答ですね)。
この考え方に立つなら、すなわち、この世の価値は(多かれ少なかれ)自分の価値観を反映しているものと捉えるなら、
有意味と感じられるものはもちろん、無意味だと感じられるものを通してすら、ひとは自分の価値観を学ぶことが出来る。
しかも、有意味なものだとその意味や価値に引っ張られて頑張ることができるけれど、無意味なものの場合、頑張る原動力を自分にしか見出すことが出来なくなる。
つまり、自分の価値観に向き合わないと頑張ることができない仕掛けになっている。
くそ、間違えた、やり過ごそうか、見直そうか。お、今度は点数がよかった、もう安心だ、何もしないでいいだろう、いや、念のため合っていた問題も確認しておいたほうがいいかな。
こうした迷いにおいて、こどもたちは自分の価値観を変える機会と出遭っている。だから、無意味なものにすら意味はあるんだと、塾長は考えているのかな、と(ちがったらすいません)。
(以下省略)
【転載終了】
いや〜、桐ちゃんに言語化してもらうと、
何だかすごいことを話していたように思えますね。笑
私はブワ〜とか効果音を付けて、
こうでああでとやたら手を動かしながら
話していただけなのですが…。
うん、こうやって書いてもらうと、
何だか自分がちょっと凄い人のような
気になってきました!笑
今日は気分よく眠れそうです。
桐ちゃんありがとう!
君と話していると脳のスイッチが入ります!
【転載終了】
そういえば、今日は9月9日。
重陽の節句ですね。
くくりの日とも言われています。
おめでたい日とされ、
大切な節目の日です。
ということは、あの記事は
1年前のくくりの日に、
書いていた訳です。
いまもこの考えは変わっていません。
長年、受験勉強をする意味を考えてきて、
そのこと自体に意味があるかどうかは
問題ではないこと、
自分がどう向き合うかこそが重要で、
それが意味を生じさせるということに気づきました。
今年は2016年(2+0+1+6=9)。
ですから999の日です。
くくりは『締めくくり』のくくりです。
ひとつの大きな流れがおわり、
明日から新たなる日が始まります。
今日は999ですから、
大締めくくりだったのでしょうか…。
明日からの日々に大いに期待したいと思います。
ありがとうございました。
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