ならぬことはならぬ・・・?

お久しブリです。

昨日も書いているのになぜ「お久しブリ」というのか。
それは私、神澤が塾生から『ブリさん』と呼ばれていて、それにかけているわけです。

例えば、某アニメでは辻さんのことを2G(ツージー)と表記していました。
教室長はサミーさんと呼ばれているので331(さみぃ)と表記します。
私の名前はそういうのがうまく作れず、ちょっと羨ましいわけです。

昨年、卒業生からメールをもらい、文面に「お久しぶり。ブリです。」と返信を打ち・・・

∑(〃゚ o ゚〃) ハッ!!

そうです、ひらめいてしまったというわけです。

こんなこと・・・・・・どうでもいいですよね・・・・・・。



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さて、本題です。
昨日の入学式の話の続きです。
こういう揚げ足取り的な記事を書くと、またまた敵を作りそうな気配がします。

まあ、私の場合、名前も塾の場所だって公表しているわけで、
そういう意味では名前を隠してコソコソ悪口書いている人よりはいいだろうと
勝手に判断しているので、もし気分を害すような場合はスルーして下さい。


入学式の後、新入生退場に続き、来賓の退場、そして在校生が退場していきました。
その間、保護者は体育館で待機となったわけですが、
それは全体保護者会なるものが開かれるからでした。

全体保護者会とは、学年主任から家庭に向けての話と、
PTAの役員決めのことでした。
(最近の学年主任は担任を持たないのですねぇ)


今年度から赴任してきたという学年主任は
「2点だけお話します」というと、『いじめ問題』について話し始めました。

私が中学生だった頃は、(あったとしても)学校にいじめは存在しないものだったので、
いきなり『いじめ問題』を話すあたりは、今時だなと思いました。

「いじめがない学校はないと思っている」という学年主任の言葉に
逆に真実味を感じ、ああ中学校だなと実感したくらいです。

結局、学校だけで未然に防ぐことも、解決することもできないから、
その点は家庭でもしっかりと考えてほしいという内容でした。

入学式を終えたばかりの時に、学年主任の話が「いじめ」ですからね。
そりゃあ、インパクトがありました。保護者の話し声がピタッと止みましたからね。


2点目の話が続きました。
「『いけないことはいけない』ということですね。『ならぬことはならぬ』でしたっけ。」

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八重の桜の話題を持ってきて話しているのですが、
私にはちょっと意味がわからないのでした。

というのも、一体何が『ならぬことはならぬ』なのかがよく分からないのです。
犯罪をしてはならないなんてレベルの話をしているわけではないでしょう…。

ちょっと反発しますと、「ならぬものはならぬ」の対象いかんでは、
きちんと説明するべき事態も起こるでしょうに…と言いたくなるのです。

小学校も違いますし、育った環境も違う人間が集まっている中学校という環境で、
大切にしなければならないのは言葉によるコミュニケーションです。

なぜそれをするべきなのか、なぜそれをするべきでないのか、
十分な言葉によって説明が行われ、またその説明を理解する。

以前、拙ブログ 体罰の話の時にもふれましたが、
どんなときでも言葉をつくすことの大切さを忘れてはいけないと思うのです。

もちろん、これは学校だからそういう風に言うわけで、
「ならぬことはならぬ」と一方的に放棄しては教育的と言えないのではないか、
そう思うわけです。

画像の説明

たしかに「ならぬことはならぬ」も大切な側面を教えてくれる言葉です。
しかし、それは上の画像のように、こういう場合にはという条件がつきます。

そういう条件なしに「ならぬことはならぬ」という言葉だけが独り歩きをしては
(特に学校では)非常に危険だと思うのです。

学年主任の先生には、何が「ならぬこと」なのかを
きちんと子ども達に伝えてもらいたいものです。

教える側の人間が言葉で教え諭すことを放棄した学校ほど悲惨なものはありません。

まあ、塾生たちから話を聞く限り、
すでに学校には無条件に「ならぬことはならぬ」を振りかざす先生が多いようですがね。


鈴木教室長には、
「ブリさんはモンペ(モンスターペアレント)最有力候補でしょうね。」
「受験制度とか知悉しているわけで、おまけにそこら辺の若い教員よりも
中学生への指導歴が長いという厄介な存在っすよね」と言われます(笑)

ありがとうございました。

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