二人静(教室通信)平成23年1月掲載記事

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こんにちは。

毎月発行している『二人静』の中から塾長のエッセイ「琴線」を、
このブログ内でも公開していきます。

「琴線」はランダムに選んでいきますので、
話題が前後する場合もあります。
あらかじめご了承下さい。

〔写真は愛用の湯飲み(益子焼)です。〕


今回は平成23年1月発行号の記事です。

自分以外の受験に携わるようになって12回目の入試が始まろうとしている。この間受験をすることの意味をずっと考えてきた。答えはまだ出ていない。というより答えは出そうにない

そもそもなぜ受験というものがあるのか。教育とは何であろうか。受験と教育は同じ意味で語られるべきことなのだろうか 

受験を期に自分の人生について考えを至らせることもある。受験を一つの機会として捉えるわけだ。これはこれで良いことのように思われる

しかし、他方で本来の『学ぶ』ということが受験勉強に置き換わってしまう危険があることも忘れてはならないだろう。受験科目でないものは、学ぶ価値など無いかのような扱いを受けるのは良いこととは言えない。科目を分けるということ自体が受験をにらんでのことではないだろうか。本来は様々な教科をつなげて伝える方が学ぶ側にとってもよいはずだ

何よりも、受験が終わった途端に「ああよかった。」と今まで悩んでいたことを忘れてしまうことが一番の問題だと思う。受験が自分を見つめる機会である反面、その終わりが自身の声に耳を傾ける終わりになってしまってはならないと思うのである。

二人静 平成23年1月発行号掲載

ありがとうございました。

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