「~だから笑顔」ではなく「笑顔だから…」

こんにちは。

塾生には常々、自分の力を出し惜しみしないように言っています。
試験が全てではありませんが、それでも全力で向かうことには意味があると思っているからです。


模擬試験の結果が良かったので、塾生からは笑顔が見られます。
それはそれでいいのですが、できれば北辰の結果に関わらず毎日笑顔であってもらいたいと思います。

そうした試験の成績は確かに大切です。
ですが、忘れていけないのは、
これは生徒さんの一面を表しているだけであって、それだけで人の価値が決まる訳ではないことです。

douda

模擬試験ごときで自分の人生を左右されてはたまったものではありません。
結果に関係なく、いつでも笑顔でいてもらいたいものです。


成績が悪いと、自分が価値の無い人間なのではないかと不安になる子が多いです。
学校の評価=自分自身 と勘違いしている子のなんと多いことか。

そういう不安感を抱えていた塾生が、先日私に手紙を書いてくれました。
本人からも許可をもらったので、ここで紹介させてもらいます。

ぶりさんに「他人、そして自分を褒めなさい」と言われてからはアロック等で問題に正解したときに「おぉ、解けるなんて僕ってイケてる!」と心の中で叫ぶようにしてます。
そうしていくうちに結果的に正解数が全体の半分以下でもその正解数だけの自分の努力と運とセンスを愛せるようになりました。
この喜びを知ってる人って意外に少ないのではないでしょうか?
学校は30点ぐらいの答案用紙を0点であるかのように扱います。これってすごい悲しいことだと思うんです。

おかげさまで本を読む習慣もだんだん出来てきました。
その成果の1つとして斎藤一人さんの本を読んでから一見マイナスに感じる物事の幸運に思える側面を探すクセがつきました。
たとえマイナス要素が多いように見える出来事でもそういう側面を見つけられるだけで幸せになれます。

(一部抜粋)
注:ぶりさんとは、神澤のことです。

子どもを育てる場が学校であるはずなのに、子ども達は欠点を数えられてばかりです。
子ども達は自分が生きている、存在しているだけで価値があると肯定されて育つべきだと思います。

成績や評価は、その子の一側面を表しているに過ぎません。
ですが、そのことをきちんとお子さんに伝えていない場合が多いので、
子ども達は何かを達成しないと自分は価値がない、笑顔になってはいけないと思わされています。

本当にそうでしょうか?
無条件で笑顔でいる方が良いと思うのは私だけなのでしょうか?

「あなたは生きているだけで、無条件で価値がある、尊いんだよ。」
「成績が良くなくても、あなたの価値は全く傷つかないんだよ。次また頑張ればいいだけだよ。」

だからこそ、出し惜しみしないようにと伝えている訳ですが…。


子どもが生まれ初めて抱いた時、その子を見つめ、
「偏差値65をとる子になって欲しい」「高校は県内のトップ校へ」
なんてことを思う親は多分いないと思います(いないですよね…?)。

人は必ず誰かの子として「幸せに生きてもらいたいと願われ」て生まれてきます。
幸せであれば、人は笑顔になります。では、あなたはいま笑顔ですか?

自分の価値を傷つけるものなんてないのだから、
もっと学ぶことを楽しんでもらえれば…

そう願って止みません。
ありがとうございました。

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